アテネとスパルタ
暗黒時代のあとのギリシアにはいろいろなポリスが成立したんですが、なかでもアテネとスパルタは力が強くって有名です。今回はアテネとスパルタについてやっていきますぴょん。
地図です。
【アテネ】
イオニア人がいろいろなところから集まってできたポリスです。集まって住むことをシノイキスモスっていったよね。
政治は直接民主政。最初は王政、貴族政、いろいろな政治を経て徐々に民主政が完成していきます。次の記事で詳しくやります。
サラミスの海戦などからもわかるように海軍中心で、開放的に外交を行います。
商工業や、学問、芸術も発達します。
市民数の約3分の2が、市民個人が所有する債務奴隷です。主に戦争捕虜などで、農業や手工業、鉱山労働に従事します。
【スパルタ】
対してスパルタ。
ドーリア人が(集住ではなく)、先住民であるアカイア人を征服することによってポリスが形成されます。
政治は貴族政で「リュクルゴスの制」という軍国主義的規律がとられました。
めちゃくちゃにスパルタな教育、ってことです。
スパルタに住んでいる人々は、
完全市民スパルティアタイが約5000人、
商工業に従事する参政権のない半自由民ペリオイコイが約20000人、
奴隷であるヘイロータイ(先住民のアカイア人)が約50000人、
とまあ奴隷がかなりおおめで、反乱とかされたらひとたまりもないわけですよ。そんな奴隷に拳で対抗するために強くならなきゃいけなかったんですね。ということでリュクルゴスの制、己を強くするための制度です。市民の平等性を維持するため、土地の売買、貴金属貨幣の使用、市民の農、商工業への従事を禁止した鎖国体制でもあります。
スパルタはアテネと対照的に陸軍中心で、閉鎖的でした。リュクルゴスの制がそうでしたね。
貿易とかもしてなかったので、奴隷が農業をしていました。自給自足です。
【植民活動の活発化】
ポリスが発展してくると人が増えてしまいますね。溢れるんですよ、多分。
だから植民市というものを建設してそこに移り住みます。
代表的なものはビザンティオン(現在のイスタンブル)、ネアポリス(現在のナポリ)、マッサリア(現在のマルセイユ)です。
次回はアテネについて詳しくやっていきますぴょん!
おしまい。