アテネ民主制の形成
アテネでは最初王政が敷かれていましたが、廃止され貴族の支配する時代が続いていました。
参政権は戦争に参加した人に与えられます。国を守るために戦った人が政治を行うのは当たり前だよねって感じです。貴族は騎兵として戦争に参加していたので政治を独占していました。
そんな中、アテネの商工業が発展していくにつれて、平民は裕福になり、武具の値段は求めやすいものになっていきます。平民たちは武具をそろえ重装歩兵として戦争に参加します。
平民「戦争に参加したので参政権よこせー!」となります。まあそれはそう。
ここからみんなで話し合って政治の方針を決めていく民主政へと少しずつ近づいていくのです。
【ドラコンの成文法】前621年
今までは貴族だけが政治のルールを知っていて文章として記されてはいませんでした。そんな中ドラコンさんが慣習法を成文化し、貴族による法の独占(都合よく解釈したり)を防ぎました。ドラコンの法はめちゃくちゃ厳格で、なにかとすーぐ死刑にしたがりましたぴょん。
【ソロンの改革】前594年
・負債の帳消し
・債務奴隷の禁止
・財産政治
ソロンさんは貴族と平民の調停者として上記のことを行いました。
平民たちが負債を抱えて債務奴隷になってしまうと、戦争で必要な重装歩兵が減ってしまって国が弱くなってしまうのでこのような改革を行いました。財産によって市民を4つに分け、それぞれ権利と義務を定めました。調停者ではありましたが平民貴族両方から不評でした、、かわいそう。
【ペイシストラトスの僭主政治】前561年
・僭主
・中小農民の保護
僭主ってのは血筋や身分に関係なく、自らの実力で(拳で)非合法的にトップになる人のことです。
非合法的に独裁政治を行って専制政治に…そしてそのまま暴君になりがちな僭主政治ですが、ペイシストラトスは平民にやさしいいい僭主で、中小農民を保護しました。
理由といたしましては、有力貴族の土地を平民に分け与えて、武器などを購入する資金を作らせることで重装歩兵を維持するためです。
ペイちゃんの子どもヒッピアスは暴君になって追放されちゃうんだけどね><
【クレイステネスの改革】前508年
・陶片追放(オストラキスモス)を実施
・血縁的部族制の廃止、10部族制の採用
・500人評議会の実施
貴族のクレイステネスは僭主がもう現れないように陶片追放を実施しました。オストラコンと呼ばれる陶片に僭主になりそうな人の名前を記入させて投票されるやつですね。10年間の追放のあとには普通に帰ってきて政治に参加したりできるっぽい。
またこの人は、血縁的な4部族制から、地縁的な10部族制への転換をしました。
もともとは○○家なのでえらい!代表ね!という感じだったんです。貴族がまさしくこれですよね。
でも、○○家から代表を出す、って今までの制度を廃止して、ここに住んでいる人たちの中から代表を決めましょうといったふうになっていくわけです。クレイステネスが住んでる人たちを分けた行政区はデーモスと呼ばれます。3地域のデーモスを組み合わせて部族は編成されました。
10つにわけたそれぞれの部族から50人の代表を選ぶ500人評議会という民会の予備審議や日常行政を担当する評議会ができます。
クレイステネスは民主制の基礎を確立するんですね。
【エフィアルテスさん】
ペルシア戦争後、エフィアルテスは貴族の国会であるアレオパゴス会議から平民中心の民会に主要権力を移しました。
【ペリクレスの時代】前443〜前429
・直接民主政の完成
・成年男子市民が全員参加の民会で政治を運営
・役人や兵士に報酬を出す(今までは出なかった!)
将軍ペリクレスによる民主政の完成です!!めでたい!!
将軍などを除くほとんどの公職をくじで市民に開放します。参政権ってのは戦争に行く人に与えられるものだったので女性、奴隷、外国人(メトイコイ)は参政権が認められませんでした。
こうした政策に必要な費用はお金持ちにカツアゲ支払わせただけでなく、次の記事ででてくるデロス同盟の資金を流用していました。わるだ……
また、ペリクレスはアテネの市民権を両親ともにアテネ市民である人物に限定するといった市民権法を民会に提案しました。
こんなもんでしょうか!
次はアケメネス朝でさらっと触れたペルシア戦争についてやっていきますぴょん。
今夜はまだ寝かせないぞ!!!!!ギリシア世界を終わらせるまで私は寝ないぞう!!!