すやすや世界史B

ねころがりながら復習するためのまとめ

身分闘争の時代

もくじ

 

ローマが始まります。前回ブログで早くローマやりたいっていってた理由ですか?友達の次のテスト範囲がローマらしいので……役に立ちたい、、、と思いました。

でも正直このブログってある程度勉強して基礎を入れた上で復習用に見るブログだからわかりづらいかもしれないゴニョゴニョ……

自己満足のブログなのであまり他人に見せることを前提に作られていないんですよね。わかりづらかったらごめん。

 

はじめますぴょん。

 

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ローマですね

紀元前753年、イタリア人の一派ラテン人であるロムルスとレムスがティベル川のほとりに都市国家を建国しようとします。ロムルスくんとレムスくんはどこに国を建てるかでもめて戦争までしたっぽいですけど、ロムルスが勝って建国したので「ローマ」って名前になったらしいです。彼らは狼に育てられました。

 

もともと王政だったんだけど、前509年にエトルリア人の王を追放して共和政がはじまります。おうさまがいない政治ですね。最初の方はパトリキと呼ばれる貴族ばっかりが官職を独占していました。以下のような役割がありました。

コンスル(執政官)…任期1年、定員2名の最高官。行政・軍事を担当

・ディクタトル(独裁官)…任期半年、定員1名。非常時に任命

元老院…最高機関、300人の終身議員

コンスルってのはギリシアでいうところのアルコンみたいなものですね。あっちはくじで決められてたけど。

 

ギリシアと全く同じなんですけど、プレブスと呼ばれる平民は重装歩兵として戦争に参加することで参政権よこせー!ぼくらも国のために頑張ってるんだー!と主張し始めるわけです。まあ当然のことですね。

ここから今回のテーマ、身分闘争がはじまります。

 

紀元前494年、聖山事件という平民が貴族に対して抵抗するために山にたてこもる事件がおきます。家に引きこもってるのはわたしです。

がんばってるのに政治に参加させてくれないならもうなにもしてあげないから!というやつですね。

聖山事件の結果貴族は護民官と平民会を設置します。

護民官プレブス保護のための官職。元老院コンスルの決定に対する拒否権を持つ

平民会…プレブスのみによって構成される民会。護民官が議長

 

その後も平民の参政権は徐々に拡大していきます。

 

紀元前450年頃、十二表法の制定

・ローマ最古の成文法

・貴族による法知識の独占を規制

・市民法

 

アテネのドラコンがやったみたいに、いままで貴族の中でだけ知られていた慣習法を表に出しました。法は裁くものですら縛るものであるべきですもんね。でも十二表法は平民階級的には不評だったみたい。

 

紀元前445年、カヌレイウス法

十二表法ではパトリキプレブスの結婚は禁止されていましたが、この法によって通婚が認められます。これによってプレブス上層は政界に進出したりします。

 

貴族はかなりむちゃくちゃやっていてですね、暴力的な手段を用いて平民から土地を奪っていたんですよ。中小自作農民である平民から土地を奪うってのはつまり仕事ができなくなっちゃうわけです。となると武器はもちろん買えない。重装歩兵として戦争に参加できないんです。

紀元前390年、ケルト人(ガリア人)がローマに侵入します。街に火をつけ破壊してしまいます。重装歩兵が十分にいないため外敵の侵入をただ呆然と見つめるしかなくなってしまうんですよ。ケルト人には金を渡して帰ってもらったんですが、

 

平民が戦争に参加できない……これじゃまずい!ということで、

紀元前367年、リキニウス=セクスティウス法を制定。

・公有地占有を500ユゲラ(約125ha)に制限

コンスルの一人を平民から選ぶ

 

後者に目がいきがちなリキニウス=セクスティウス法ですが、大土地所有の制限が大事です。これによって平民の土地を貴族に奪わせないようにして重装歩兵が減るのを防ぎました。

(力がまた強くなったローマ軍は前272年ギリシア人植民地タレントゥムを占領し、イタリア半島統一を完成させます)

 

その後、紀元前287年にホルテンシウス法が制定されます。

平民出身のホルテンシウスさんがディクタトルに任命されたときに成立しました。

内容は、平民会での決議を元老院の承認を得ずに国法にする、です。

 

この法の成立により、貴族と平民の政治的身分は平等になりました。

約200年にわたる身分闘争はおしまいです。

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イタリア半島統一前

ちなみにイタリア半島統一前のローマはこんな感じでした。南部のギリシア人植民市、ピンクのところですね。そこをマグナ=グラエキアといったりします。

半島統一戦争の軍用道路として造られたアッピア街道はローマ〜タレントゥムまで延びています。

 

はい、ということで次回はポエニ戦争を見ていきます。