すやすや世界史B もくじ
オリエント
- エーゲ文明 (クレタ文明、ミケーネ文明)
- ポリスの成立と発展
- アテネとスパルタ
- アテネ民主制の形成
- ペルシア戦争
- ペロポネソス戦争
- ヘレニズム時代
- ギリシア文化・ヘレニズム文化
- ギリシアの哲学 (万物の根源は何か)
- ギリシアの哲学 (ソクラテス、プラトン、アリストテレス)
ローマ
参考書など
Winning COM.-PASS世界史の整理と演習 - とうほう
赤本
他
Web
他
身分闘争の時代
ローマが始まります。前回ブログで早くローマやりたいっていってた理由ですか?友達の次のテスト範囲がローマらしいので……役に立ちたい、、、と思いました。
でも正直このブログってある程度勉強して基礎を入れた上で復習用に見るブログだからわかりづらいかもしれないゴニョゴニョ……
自己満足のブログなのであまり他人に見せることを前提に作られていないんですよね。わかりづらかったらごめん。
はじめますぴょん。
紀元前753年、イタリア人の一派ラテン人であるロムルスとレムスがティベル川のほとりに都市国家を建国しようとします。ロムルスくんとレムスくんはどこに国を建てるかでもめて戦争までしたっぽいですけど、ロムルスが勝って建国したので「ローマ」って名前になったらしいです。彼らは狼に育てられました。
もともと王政だったんだけど、前509年にエトルリア人の王を追放して共和政がはじまります。おうさまがいない政治ですね。最初の方はパトリキと呼ばれる貴族ばっかりが官職を独占していました。以下のような役割がありました。
・コンスル(執政官)…任期1年、定員2名の最高官。行政・軍事を担当
・ディクタトル(独裁官)…任期半年、定員1名。非常時に任命
・元老院…最高機関、300人の終身議員
コンスルってのはギリシアでいうところのアルコンみたいなものですね。あっちはくじで決められてたけど。
ギリシアと全く同じなんですけど、プレブスと呼ばれる平民は重装歩兵として戦争に参加することで参政権よこせー!ぼくらも国のために頑張ってるんだー!と主張し始めるわけです。まあ当然のことですね。
ここから今回のテーマ、身分闘争がはじまります。
紀元前494年、聖山事件という平民が貴族に対して抵抗するために山にたてこもる事件がおきます。家に引きこもってるのはわたしです。
がんばってるのに政治に参加させてくれないならもうなにもしてあげないから!というやつですね。
聖山事件の結果貴族は護民官と平民会を設置します。
護民官…プレブス保護のための官職。元老院、コンスルの決定に対する拒否権を持つ
その後も平民の参政権は徐々に拡大していきます。
紀元前450年頃、十二表法の制定
・ローマ最古の成文法
・貴族による法知識の独占を規制
・市民法
アテネのドラコンがやったみたいに、いままで貴族の中でだけ知られていた慣習法を表に出しました。法は裁くものですら縛るものであるべきですもんね。でも十二表法は平民階級的には不評だったみたい。
紀元前445年、カヌレイウス法
十二表法ではパトリキとプレブスの結婚は禁止されていましたが、この法によって通婚が認められます。これによってプレブス上層は政界に進出したりします。
貴族はかなりむちゃくちゃやっていてですね、暴力的な手段を用いて平民から土地を奪っていたんですよ。中小自作農民である平民から土地を奪うってのはつまり仕事ができなくなっちゃうわけです。となると武器はもちろん買えない。重装歩兵として戦争に参加できないんです。
紀元前390年、ケルト人(ガリア人)がローマに侵入します。街に火をつけ破壊してしまいます。重装歩兵が十分にいないため外敵の侵入をただ呆然と見つめるしかなくなってしまうんですよ。ケルト人には金を渡して帰ってもらったんですが、
平民が戦争に参加できない……これじゃまずい!ということで、
紀元前367年、リキニウス=セクスティウス法を制定。
・公有地占有を500ユゲラ(約125ha)に制限
・コンスルの一人を平民から選ぶ
後者に目がいきがちなリキニウス=セクスティウス法ですが、大土地所有の制限が大事です。これによって平民の土地を貴族に奪わせないようにして重装歩兵が減るのを防ぎました。
(力がまた強くなったローマ軍は前272年ギリシア人植民地タレントゥムを占領し、イタリア半島統一を完成させます)
その後、紀元前287年にホルテンシウス法が制定されます。
平民出身のホルテンシウスさんがディクタトルに任命されたときに成立しました。
内容は、平民会での決議を元老院の承認を得ずに国法にする、です。
この法の成立により、貴族と平民の政治的身分は平等になりました。
約200年にわたる身分闘争はおしまいです。
ちなみにイタリア半島統一前のローマはこんな感じでした。南部のギリシア人植民市、ピンクのところですね。そこをマグナ=グラエキアといったりします。
半島統一戦争の軍用道路として造られたアッピア街道はローマ〜タレントゥムまで延びています。
はい、ということで次回はポエニ戦争を見ていきます。
ギリシア哲学(万物の根源は何か)
哲学が生まれる前、人々の「なんで自分は生きているんだろう」「なんで人間は死んでしまうんだろう」のような問いに答えたのは神話でした。
例えばユダヤ教の神話では、神が天地を創造し、アダムとイブを作り、2人を楽園に住まわせた。でもアダムが禁断の果実を食べちゃったせいで堕落して楽園を追放、その罪として人間は死すべき存在となった……みたいな感じの物語があって、それを提示することで人々が生きている上で生じる問いについて答えています。
宗教とその神話というのは私たちの答えとして非常に優れたものでした。でも神話から導き出された答えには欠点があります。それは、みんながみんなその宗教を信仰しているわけではないということ。○○教の神話にある私たちの答えは、その他の宗教を信じている人にとっては答えではなかったんです。
イオニア地方のミレトス、というところではいろいろな文化が展開されており、みんなが同じ宗教を信仰し、みんなが同じ答えを持つ、というのは難しいことでした。
今まで私たちが答えだと思っていたものはどうやら答えではないらしい、ではほんとうのところ世界はどうなっているんだろう?
……ということで、神話などにとらわれずに、全人類が納得できるような原理(アルケー)を考え抜く哲学というものが生まれたのです。
タレスは万物の根源(アルケー)は「水」と、はじめて現象の背後に神を想定せず、世界をもうこれ以上考えられないところまで突き詰めました。
つまりタレスは、例えば自分自身や目の前にあるぬいぐるみ、植物などを細かく細かくみていくと最後に残るのは水だよね!って考えたわけですね。
そっか、私水だったのか〜このままどこかへ流れていってしまいたいわね。
タレスの弟子のアナクシマンドロスは水がアルケーであることを批判します。
だって、アルケーが水っていうなら、同じく感覚できる火とか土とかでもいいってことになるじゃん!
アナクシマンドロスさん、アルケーは水や火など限定されないもの、「無限なるもの」と考えます。実在的なものではなく観念的なものとして考える、ということです。
私たちにとっての神など、頭の中で考える想像上の存在のような感じです。
アナクシマンドロスさんがいった「無限なるもの」、は神ではないですよ、あくまで観念的なものの例です。
ちょっとわかりづらいかもしれませんが、アナクシマンドロスさんは無限なるなにかがある!そしてそれこそがアルケーだ!と考えました。ヘーゲルさんは彼を実在から観念へ、と精神の進歩があったと評価しています。
アナクシメネスは万物の根源は「空気」であると考えました。
ここでいう「空気」というのは単なる物質ではなくそれを超えたものみたいです。
次はミレトスではなくイタリアのピタゴラスさん。
ピタゴラスはアルケーは数である、と考えました。何かそこにものがあるとき、私たちは1つのものがあると認識する。この1という数字こそが万物の根源なのだ、と。
イオニアの後期自然学派の哲学者、ヘラクレイトスは万物の根源は「火」であり、「万物は流転する」と考えました。
ヘラクレイトスは彼の考え方を川に例えてこう言います。
「同じ川に二度と入ることはできない」「私たちは同じ川に入り込むのであり、入り込まないのである」
万物は絶えず変化を遂げているので、同じ川に二度とは入れないってのはわかりやすいですね。また後者は、人間は同じ川に何度でも入ることができるけど、それは同じ川ではないよねって意味ですね。
アルケーを「火」としましたが、火という存在はずっと火として存在し続けますが(同じ川に何度でも入れる)、ゆらゆら燃えて灰になり煙になります(同じ川に二度とは入れない)。
……みたいなイメージ?伝わるかな。
まあ、彼が考えたアルケーは火というものによく似ていて、火こそが彼の言いたいことをうまく言い表してた、って感じですかね。
デモクリトスは万物の根源は「原子」であると考えます。
原子とはいっても今の私たちが思うような原子ではなく、観念的な、思考によって存在を捉えようとするものです。
今まではアルケーはこれ!と一つの究極的原理に還元して考えようとする一元論だったんですが、デモクリトスは存在を構成する大きな要素は複数あるいは無数だとする多元論にのっとって考えていました。
うええええええ、、、、数年後ちゃんと理解できたらめっちゃ追記すると思う。多分。
とりあえず今はこれで、たいよろだよう、、、、、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスは次の記事でまとめようと思います。
たいせんよろしくおねがいします、、、、、、><
<参考>
ギリシア文化・ヘレニズム文化
文化がやってきました。
文化はねえ…作品名とか覚えるだけだと暗記になっちゃうじゃないですか。だから概要をなんちゃらぺでぃあとか、Youtubeで紹介してたりもするので見て、気になったやつは本借りたりするといいよー。
ギリシアでは、多神教で主神がゼウスであるオリンポス12神を信仰していました。
【文学】
<叙事詩>
ヘシオドス『労働と日々』『神統記』
出来事をありのままに歌いあげる詩ですね。ホメロスの叙事詩はトロイア戦争について書かれていて、それを元にシュリーマンはトロイア文明を発掘しました。
ヘシオドスは農民の生活を中心に詩を書いたよ。
<叙情詩>
サッフォー 当時は珍しい女性の詩人でした。恋愛の詩を書いた人です。
アナクレオン 酒や恋愛について書いた人です。
ピンダロス オリンピア競技の優勝者をたたえた詩を書きました。アレクサンドロス大王はこの人の家だけ破壊しなかったよね。
<悲劇>
アイスキュロス『アガメムノン』…ぐちゃぐちゃの人間関係、アガメムノンの暗殺とその子が復讐するお話
ソフォクレス『オイディプス王』…信託の通りに物事が進んでいくお話
これね〜高校2年生の私は苦手だった。わけがわからなかった。文化史がそもそも苦手、覚えるだけでつまらんし。
でもね、読んでみるとこれはまた結構おもしろいんですよ。
全部何というか、人間関係ドロドロだしカタカナばっかでわかりづらいかもしれないんだけどね。おすすめの動画のリンクを埋め込んでおいたので是非見てね。私は特にオイディプス王が好きだった。本借りて読むくらい好きだった。
<喜劇>
悲劇の次は喜劇です。
アリストファネス『女の平和』『女の議会』
女の平和は戦争に明け暮れる男たちに愛想を尽かした女たちがセックスストライキをするお話。これはペロポネソス戦争を風刺していて、作者の平和への熱望に溢れていました。女の議会は当時参政権がなかった女性が男装をして自分たちに有利な決定をしていくってお話。
【哲学】
<万物の根源(アルケー)は何か、という自然哲学>イオニア地方ミレトスが中心
タレス…水
アナクシマンドロス…無限なる物
ピタゴラス…数
ヘラクレイトス…火、万物は流転する
デモクリトス…原子
<ソフィスト>
プロタゴラス…人間は万物の尺度
<アテネ哲学>
哲学に関しては、ギリシア最後の記事で触れるのでここではさらっとにします。
本を読んでそれをもとに書こうと思ってます。たのしみー!明日やろっと。
【医学】
ヒッポクラテス…医学の父
【彫刻】
フェイディアス…アテナ女神像
<神殿建築>
初期 ドーリア式…ほとんど装飾を用いていない(パルテノン神殿)、荘重
中期 イオニア式…優雅、渦巻き装飾が特徴(ニケ神殿)
後期 コリント式…華麗、柱頭のアカンサスの葉の装飾が特徴(ゼウス神殿)
優雅と華麗の違いってなんや><
【歴史】
二人とも歴史ってのを書きました。
ヘレニズム文化
アレクサンドロスさんは東西融合政策をしました。世界市民主義(コスモポリタニズム)の風潮があります。ポリスや民族の枠にとらわれない考え方のことですね。
【彫刻】
「ミロのヴィーナス」「ラオコーン」「サモトラケのニケ」
【哲学】
ストア派…ゼノンが中心。禁欲主義。
【自然科学】
エラトステネス…地球の周囲の長さを測定
エウクレイデス…平面幾何学を大成(ユークリッド、っていいますね)
アルキメデス…てこの原理、浮力の原理
プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアにあったムセイオンという研究機関は自然科学の中心となって、大図書館や天文設備も設置されました。
こんなもんですか!文化はただ羅列しただけになっちゃうのが申し訳ない。哲学だけ次の記事でちゃんとまとめます。わーギリシア哲学ー!たのしみー!
意外と一日でギリシア全部まとめられちゃった。やったね。
それじゃあ、おやすみなさい。
ヘレニズム時代
前の記事でも触れましたが、マケドニアのフィリッポス2世がカイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を破りギリシアを制圧します。
ギリシアの各ポリスに自治を許し、コリントス同盟を結成してスパルタを除く全ギリシア軍を指揮する権利を得ます。
フィリッポス2世が亡くなり、ギリシアの主だったポリスが反乱、それにこたえたアレクサンドロス大王はテーベを破壊します。破壊されずに残ったのはアレクサンドロスが敬愛した詩人ピンダロスの家だけだったそう。
ちなみにこのアレクサンドロス、家庭教師にあのアリストテレスをつけていました!しゅごい!!
前334年、東方遠征がはじまります。
アケメネス朝ペルシアへの遠征ってことですね。
イッソスの戦いでアレクサンドロス大王は勝利。ペルシアのダレイオス3世は母や子を放り出して逃げ出します。アレクサンドロスはその後、フェニキアの都市群を支配下におくと、エジプトに向かい支配していたペルシア人を駆逐。迫害されていたエジプト人たちは新たなファラオとしてアレクサンドロス大王をむかえいれました。
アルベラの戦いで再びアレクサンドロスはダレイオス3世を倒し、アケメネス朝は滅亡、アレクサンドロスはインダス川にも及ぶ大帝国を作り上げます。各地にアレクサンドリアというのも建設しています。さらに、東西融合政策を行い、ギリシア文明とオリエント文明を融合させヘレニズム文明を作り上げました。
その後西北インドへ侵攻し、マケドニアへ戻ろうとした途中のバビロンでアレクサンドロスは死んでしまいます。わかくしてこの世を去ったので後継者(ディアドコイ)がおらず、武将たちは後継者戦争をはじめます。
前301年、ディアドコイ戦争のイプソスの戦いというのを契機にアレクサンドロス大王の帝国はアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアに分裂します。
……こんな感じ?これでヘレニズムの流れ、ギリシア世界の流れはおしまいです!やった!
あとは文化に触れておしまい。ローマ!!わあい!!
ということで、また文化でお会いしましょう。
ペロポネソス戦争
【次回予告】
デロス同盟において横暴すぎるアテネのふるまいに不満を抱いたポリスたちはアテネがコリントスの植民地をうばおうとしたのをきっかけに結集し、紀元前431年、スパルタを盟主としたペロポネソス同盟とペロポネソス戦争を起こすことに…
私(アテネ)、一体どうなっちゃうの〜〜〜?!
はい、こちら前回の予告ですね。今回はペロポネソス戦争について触れていきますが、いうてそこまで内容重たくないよう\どっ/(笑いがWWWWWW止まりませぬWWWWW)
…
はい、ないようがないようなので、うっうっ、くそつまらんダジャレを言ってしまいました。殉教します。ダジャレ信仰は周りからの白い目に殺されるのです……でも、私が死んでもみんなの心の中にダジャレは永遠に……
やめました。ごめんなさい。
【ペロポネソス戦争】前431〜前404
アテネ中心のデロス同盟とスパルタ中心のペロポネソス同盟の戦争です。
アテネは負けます。
スパルタ側にはなんといってもあのアケメネス朝がついていたのでねえ…アテネ、どんまい。
アテネが負けた原因の一つにペロポネソス戦争の初期にペリクレスさんが病死してしまうってのがあります。アテネの民主政、最盛期をつくったペリクレスさんが死んでしまうんです。
指導者を失ったアテネは扇動政治家(デマゴーゴス)によって混乱させられてしまいます。
こうしてアテネの国力はだんだん衰えていくのです、、、かなしい、、、
スパルタは負けたアテネに寛大でした。虐殺は行わず、城壁の撤去、植民、艦隊の放棄を要求しただけでしたぴょん。
その後紀元前404年、スパルタの後ろ盾で30人の僭主による寡頭政がはじまりましたがあんまりいい政治ではなかったようでわずか一年で民主政に戻ります。
ということで、アテネに勝ったスパルタがへっへっへ〜となっていた!と思いきや、前371年、テーベってポリスが現れてレウクトラの戦いでスパルタを倒してしまいます。エパメイノンダスさんが指導しました。
ポリス間の絶え間ない戦争によって農地は荒れ果てて、平民は困ってしまいます。追い打ちをかけるように貨幣経済が浸透して貧富の差は拡大していきます。
武器を買うお金がなくなって平民は戦えなくなるので、傭兵っていうお金をもらって兵隊をやる人たちがはやり出します。
ペロポネソス戦争期に市民間の団結が失われたのも、戦争で土地を失って市民が没落し、傭兵が中心となったため市民皆兵の原則が崩れたからってわけですね。
そんな中、北の方からマケドニアって国がやってきて、
カイロネイアの戦いによってアテネ・テーベ連合軍は敗れてしまいます。
かなしい。
これでアテネらへんはおしまいです。次は私の苦手なヘレニズム時代が始まるのです…
ペルシア戦争
ペルシア戦争、前500年から前449年にいたる約50年間、4回にわたって展開されたアテネを中心とするギリシアのポリスとアケメネス朝との戦争です。
地図ですね。
はい、右側にあるミレトスっていうアケメネス朝の領土なんですが、ギリシアの植民市ですね。そこがアケメネス朝のダレイオス1世の支配に対して反乱を起こします。その反乱をアテネが支援したことによってペルシア戦争ははじまります。
アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世は軍を送ります。が、暴風雨により失敗してしまいます。どんまい。
【マラトンの戦い】前490
地図を見つつやっていきましょう。アテネ軍の重装歩兵が勝ちます。ファランクスと呼ばれる隊形でペルシア軍を挟み撃ちにしました。
このときギリシア軍の援軍にスパルタを呼ぼうとしたんだけどオリンピアの祭典中でだめでしたね><
【テルモピレーの戦い】前480
スパルタ軍(と他)とクセルクセス1世率いるペルシアが戦います。
スパルタ軍の味方だったテーベ軍が寝返って全滅してしまいます。ぐぬう……
【サラミスの海戦】前480
テルモピレーの戦いと同じ年ですね。
テミストクレス率いるアテネ軍が三段櫂船などを駆使してペルシアに勝ちます。
このとき三段櫂船っていうTUEEEEな船のこぎ手を無産市民が担当し、無産市民も戦争で役に立てたので戦後参政権を得ます、そしてペリクレスの時代に民主政が完成!でしたね。
ちなみにサラミスの海戦で活躍したテミストクレスさんは陶片追放でぴえんしてしまいます、、、恩知らずめ!
【プラタイアの戦い】前479
アテネ・スパルタ連合軍の勝利です!!やったあ!!
この戦いでペルシア戦争におけるギリシア側の勝利が確定するわけですね。
念には念を、ということで再びペルシアが攻めてきたときに備えてアテネさんを中心にデロス同盟というものを結成します。これの金庫が最初デロス島にあったことが名前の由来です。まあその後金庫がアテネに移動されて占領しちゃうんですけどね。デロス同盟の資金をペリクレスさんが勝手に使ったことに対して他の国は「は?」となりますが「でも俺らがペルシア倒したんで!wまもってあげたので!ざこおつ!」と返しぐぬぬとなったとさ。
ちなみにヘロドトス(エジプトはナイルのなんちゃら)さんはペルシア戦争を題材に『歴史』を書きました。
【次回予告】
デロス同盟において横暴すぎるアテネのふるまいに不満を抱いたポリスたちはアテネがコリントスの植民地をうばおうとしたのをきっかけに結集し、紀元前431年、スパルタを盟主としたペロポネソス同盟とペロポネソス戦争を起こすことに…
私(アテネ)、一体どうなっちゃうの〜〜〜?!
アテネ民主制の形成
アテネでは最初王政が敷かれていましたが、廃止され貴族の支配する時代が続いていました。
参政権は戦争に参加した人に与えられます。国を守るために戦った人が政治を行うのは当たり前だよねって感じです。貴族は騎兵として戦争に参加していたので政治を独占していました。
そんな中、アテネの商工業が発展していくにつれて、平民は裕福になり、武具の値段は求めやすいものになっていきます。平民たちは武具をそろえ重装歩兵として戦争に参加します。
平民「戦争に参加したので参政権よこせー!」となります。まあそれはそう。
ここからみんなで話し合って政治の方針を決めていく民主政へと少しずつ近づいていくのです。
【ドラコンの成文法】前621年
今までは貴族だけが政治のルールを知っていて文章として記されてはいませんでした。そんな中ドラコンさんが慣習法を成文化し、貴族による法の独占(都合よく解釈したり)を防ぎました。ドラコンの法はめちゃくちゃ厳格で、なにかとすーぐ死刑にしたがりましたぴょん。
【ソロンの改革】前594年
・負債の帳消し
・債務奴隷の禁止
・財産政治
ソロンさんは貴族と平民の調停者として上記のことを行いました。
平民たちが負債を抱えて債務奴隷になってしまうと、戦争で必要な重装歩兵が減ってしまって国が弱くなってしまうのでこのような改革を行いました。財産によって市民を4つに分け、それぞれ権利と義務を定めました。調停者ではありましたが平民貴族両方から不評でした、、かわいそう。
【ペイシストラトスの僭主政治】前561年
・僭主
・中小農民の保護
僭主ってのは血筋や身分に関係なく、自らの実力で(拳で)非合法的にトップになる人のことです。
非合法的に独裁政治を行って専制政治に…そしてそのまま暴君になりがちな僭主政治ですが、ペイシストラトスは平民にやさしいいい僭主で、中小農民を保護しました。
理由といたしましては、有力貴族の土地を平民に分け与えて、武器などを購入する資金を作らせることで重装歩兵を維持するためです。
ペイちゃんの子どもヒッピアスは暴君になって追放されちゃうんだけどね><
【クレイステネスの改革】前508年
・陶片追放(オストラキスモス)を実施
・血縁的部族制の廃止、10部族制の採用
・500人評議会の実施
貴族のクレイステネスは僭主がもう現れないように陶片追放を実施しました。オストラコンと呼ばれる陶片に僭主になりそうな人の名前を記入させて投票されるやつですね。10年間の追放のあとには普通に帰ってきて政治に参加したりできるっぽい。
またこの人は、血縁的な4部族制から、地縁的な10部族制への転換をしました。
もともとは○○家なのでえらい!代表ね!という感じだったんです。貴族がまさしくこれですよね。
でも、○○家から代表を出す、って今までの制度を廃止して、ここに住んでいる人たちの中から代表を決めましょうといったふうになっていくわけです。クレイステネスが住んでる人たちを分けた行政区はデーモスと呼ばれます。3地域のデーモスを組み合わせて部族は編成されました。
10つにわけたそれぞれの部族から50人の代表を選ぶ500人評議会という民会の予備審議や日常行政を担当する評議会ができます。
クレイステネスは民主制の基礎を確立するんですね。
【エフィアルテスさん】
ペルシア戦争後、エフィアルテスは貴族の国会であるアレオパゴス会議から平民中心の民会に主要権力を移しました。
【ペリクレスの時代】前443〜前429
・直接民主政の完成
・成年男子市民が全員参加の民会で政治を運営
・役人や兵士に報酬を出す(今までは出なかった!)
将軍ペリクレスによる民主政の完成です!!めでたい!!
将軍などを除くほとんどの公職をくじで市民に開放します。参政権ってのは戦争に行く人に与えられるものだったので女性、奴隷、外国人(メトイコイ)は参政権が認められませんでした。
こうした政策に必要な費用はお金持ちにカツアゲ支払わせただけでなく、次の記事ででてくるデロス同盟の資金を流用していました。わるだ……
また、ペリクレスはアテネの市民権を両親ともにアテネ市民である人物に限定するといった市民権法を民会に提案しました。
こんなもんでしょうか!
次はアケメネス朝でさらっと触れたペルシア戦争についてやっていきますぴょん。
今夜はまだ寝かせないぞ!!!!!ギリシア世界を終わらせるまで私は寝ないぞう!!!